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【訃報】 神部代表が逝去されました ~あらためて感謝と誓いを胸に~

去る9月12日 長年に渡り稲沢中央ボーイズ小学部の代表としてチームを牽引していただいた神部滝男前代表が、病気療養中のところ膵臓癌のため永眠されました。

在団生は公式戦ユニフォーム姿で通夜に参列。多くの卒団生も駆けつけていました。現役父母やOB父母も、お世話になった代表に最後のご挨拶をするため、多数弔問に訪れました。葬儀場のロビーには、稲沢中央ボーイズの思い出の品が数々置かれていまいた。全国大会出場記念品や卒団式に贈った寄せ書き、バットや記念写真。おそらく神部代表が大切にしていた品々だったのでしょう。

喪主を務められた神部代表のご長男のお礼のご挨拶は、あらためて我々の心に響きました。昨年夏頃から首の痛みがおさまらず、最初は整形外科に通っていたこと。それでも改善しないために検査をすると、その痛みは膵臓癌が首に転移したものであったこと。11月に入院して治療に励むものの、すぐに体の自由を奪われてしまったこと。ただ、お見舞いに来ていただいた方々には、一切弱音を吐かずに明るくふるまっていたこと。そんな中でも、いつも気にしていたのは稲沢中央ボーイズの子供達の様子であったこと。特に春の全国大会がかかった東邦ガス旗争奪大会では、祈るように見守り、優勝して全国大会出場が決まると涙を流して喜んでくれたこと。

何よりも、辛い治療の合間をみつけて、子供達のために必勝折り鶴をつくってくれたことを忘れてはいけません。あの折り鶴は支部予選のベンチで選手のプレーを見守り、今振り返れば絶対絶命のピンチからも救ってくれたのです。そして決勝戦でキャプテン京弥が放った、全国大会出場を決定づけるあのホームラン。あの打球は折り鶴の羽をまとい、神部代表がいる病室の方向に、高い放物線を描き飛び込んでいったのです。全国大会のベンチから代表として復帰してくれるという約束は叶いませんでしたが、あの折り鶴は全国のベンチでも温かく見守ってくれました。そればかりか、二年前の全国大会と同じ球場、同じベンチ、同じ大阪代表相手にリベンジも果たしました。あらためて、神部代表の執念が稲沢中央ボーイズを助けてくれた気がします。

二年前の全国大会には、神部代表自らマイクロバスを運転して東京大田スタジアムに行きました。嬉しそうにハンドルを握る代表の表情は忘れられません。ベンチの中では選手起用や采配には一切口を出さず、ただ落ち込みそうな選手だけには励ましの言葉をかけてくれる姿が忘れられません。時々ユーモアあふれるジョークを発し、ご自身で笑ってしまう様子が忘れられません。「大丈夫、大丈夫、俺が謝ればいいから」とかばってくれることも多々ありました。

現在稲沢中央ボーイズ小学部は、神部代表の意志を引き継ぎ、林新代表を中心とするスタッフと、長尾監督を中心とする指導者が子供たちの夢の支援をしてくれています。あらためて団生も父母も、こうした環境に感謝をしていきたいものです。そして多くの卒団生とその父母も、稲沢中央ボーイズで学んだこと、神部代表の教え子であったことを誇りに思い、それぞれの進路で最大限の努力をしてもらいたいものです。

神部代表、本当にありがとうございました。そしてこれからも、たくさんの教え子の歩みを共に支えてください。

合掌


写真は、病気療養中の神部代表から全国大会予選前に届けられた魂のこもった必勝折り鶴

 

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